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行徳の祭りの魅力や思い出話、神輿に関する情報など、地元のみなさまからいただいた声を紹介するコーナーです。

●昔の祭礼は、豊作の年のみの開催で、10月15日と決まっていました。学校がある日は早く帰れたので、みんな祭りを楽しみにしていました。

普段は仲のよい隣町とも、祭りのときになると「自分の町が一番!」とよく喧嘩になったものです。(相之川在住 Aさん)

昔は、大人にとっても子どもにとっても、祭りが特別のものだったことが伺えるお話ですね。

祭りに喧嘩はつきものといいますが、行徳の祭りでも、町ごとに数々の武勇伝が残されているようです。(WG)

 

 

 ●五ヶ町の祭りで、下新宿渡御の由来とされる「布教活動をして生き倒れになった人」のお墓は、下新宿に実在します。

祭りであいさつにいかなかった年に疫病が流行したと伝えられることから、「おこり山墓地」といわれ、墓を管理する方が代々供養を続けているそうです。(入船在住 Sさん)

墓が実在するとは驚きです。言い伝えの信憑性も高まりますね。大変興味深いお話です。(WG)

 

 

●中台さんの行徳神輿が台湾にもあるのはご存じでしょうか。台南市の山中にある龍崎文衡殿というお寺に奉納されています。

アクセス不便かつ別棟での展示のため現地でもあまりお目にかかれませんが、マーベルヒーローたちの等身大フィギュアが神様のごとく鎮座している変なお寺さんなので、コロナ収束後機会があればぜひ足を運んでみてください。

私のブログでも過去に紹介しております。http://urayasu.gyotoku.org/myoden/013/post_92.html

大事に展示されていますが、担ぎ棒撤去や中華風台座など現地風に改造された形跡がみられました。(浦安・行徳・妙典 東京湾岸千葉情報さん)


浦安・行徳・妙典 東京湾岸千葉情報さんのブログは、いつも楽しく拝見しています。中でもこのお話はおもしろくて、数年前の記事ですが私もよく覚えております。行徳の神輿が海を渡り、どんな風に展示されているのか。そのカオスっぷりが手に取るようにわかり、笑えますよ。ぜひご覧ください。(WG)

 

 

五ヶ町の祭礼のページに、「なぜ隣町の下新宿にあいさつにいくのか」の諸説を掲載いたしましたが、そのうちの2説について疑問点が寄せられました。

 ②昔、下新宿で布教をしていた人が行き倒れになりました。その人は仏像を所持していましたが、下新宿にはすでに神社があったので、本行徳一丁目の神社にまつられました。そのため、祭礼のときには下新宿にあいさつに行くようになりましたが、ある年、このあいさつをせずに祭りを行ったところ、疫病が流行りました。これはあいさつに行かなかった祟りによるものだといわれ、以来、下新宿への渡御を欠かさなくなったと伝えられています。

●・本行徳一丁目の神社も江戸初期より存在するのに、なぜ下新宿の自分の神社に祀らず、一丁目の神社へ仏像を持ってきたかが、疑問。

・仏像が一丁目の神社に納められているならば、下新宿の神社に御礼参りに行く必要がない。逆に、下新宿の人が一丁目の神社に御礼に来るはず。

・江戸時代には神仏習合であったので、仏像を神社に安置するのはおかしくはないが(現に一丁目の神社の御神体は、雨宝童子=大日如来の化身)、どんな仏像であったか不明。

 

 ③昔、下新宿の生花店手前の裏庭に、朽ち果てた小さな祠がありました。当時の下新宿は戸数も少なく、祠の建て替えもままならなかったため、本行徳一丁目の人たちが現在の神明(豊受)神社のところに社を建て、祠の何かを御神体とし、地域の氏神様としました。そのため、大祭のときには下新宿にお参りに行き、下新宿側も地境で丁重に出迎えるのだと伝えられています。

●本行徳一丁目の神社は本行徳中州(現・江戸川区篠崎)から移転したことがはっきり明記されていて、下新宿から来たご神体を氏神様にしたという話は伝わっていない。

 

以上の話は、昔話の伝えであろうが、上記のようにいくつかの矛盾がある。ただ、下新宿とは五ケ町の祭礼に置いて、昔から切っても切れない関係が続いていたことは確かであろう。その関係性は未だに明白でない。(本行徳在住 Mさん)

 


 下新宿の神社は寛永12年(1635年)創建。一方の本行徳一丁目の神社は、同じ年に本行徳中洲から今の地に遷座されましたが、元の地に鎮座したのは、大永年間(戦国時代)とする資料や、平安時代にはすでに存在し行徳の人が塩を納めていたとみる資料もあるようです。いずれにせよ下新宿の神社より歴史はずっと古いため、ご神体にまつわる②③の説は確かに疑問も多く残りますね。今後真相が解明されることはなさそうですが、地元に伝わる昔話として、どれも残しておきたい気もします。(WG)

 

 

●後藤神輿店の看板は、現存する中では2枚確認されています。

初代は、大正末期から戦前の、六世後藤直光の時代のもの。欅の一枚物で「神輿専門」と彫られ、黒漆の上に箔が押されています。元々は、周りに龍がまわっていましたが、板の反りと龍が朽ちたのが原因か、戦中に取り外され、長い間倉庫に保管されていたようです。

倉庫解体時に廃棄寸前であったのを、押切稲荷神社関係者が引き取り、2020年から押切自治会が保管しています。


 

2代目の看板は、戦後から昭和40年頃の、七世後藤直光の時代のもの。初代より一回り大きく、朱漆に箔が押されています。龍巻きは無く、欅の2枚合わせで板が反れにくく製作してあるため、今も当時の姿のままで残っています。

 

神輿製作は、昭和40年に差し掛かるぐらいまでは忙しかったと思われます。

八世後藤直光の時代になり神輿製作が下火になった頃、この看板も外されたと思われます。

その後骨董収集家の手に渡りましたが、縁あって当方が買い戻しました。

2019年12月に開催された「しる・みる・もむ」のイベントの際に、展示させていただきました。(旭市在住 志ん一さん


★志ん一さんは、行徳の方ではありませんが、後藤神輿について造詣が深く、当サイトにもたくさんの情報を寄せてくださっています。初代の看板は2020年の「行徳神社まつり」で、2代目の看板は2019年の「しる・みる・もむ」で、それぞれ展示されていましたので、ご覧になった方も多いかと思います。どちらも在りし日の神輿店の歴史と風格が感じられる立派な看板ですね。初代の看板は、現在押切稲荷神社の神殿脇に展示中。2代目の看板は、志ん一さんが「いずれ、行徳の地に飾れる日を夢みて」大切に保管されています。(WG)


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●わが町の祭り・神輿自慢や見どころ

 町ごとの伝統やこだわり、「よそとはちょっと違う」ことなどがありましたら教えてください。

●昭和のころの祭りの様子

 今伝えておかないと消えてしまう当時の様子をお聞かせください。

●行徳の祭りのココが知りたい

 行徳の祭りに関してもっと知りたいことなどがございましたらお聞かせください。

 

などなど、行徳の祭りや神輿に関することなら何でもOK。

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