2023五ヶ町の祭礼レポート② 下新宿渡御 の続きです。
下新宿へのあいさつが終わると、いよいよ各町での渡御が始まります。
前日まで過ごしやすい日が続いていたのに、この日は朝から昼頃まで冷たい雨が降り続き、上着が必要な寒さです。
薄い白装束姿の揉み手(注)たちにとっては過酷な天候となりましたが、5つの町共有の神輿はどのように担ぎつながれていったのでしょうか。
今回は本行徳一丁目から四丁目までの渡御の様子をレポートします。
(注)五ヶ町では神輿の担ぎ手を揉み手と呼びます。
※本行徳一丁目、二丁目、四丁目がこの日に子ども神輿を出す予定となっていましたが、当サイトでは子ども神輿までは追いきれず、取材を断念しました。
雨のため一丁目はテントの下で花神輿だけ揉んだ、四丁目は中止となった、という話は聞いております。
※以下に記載している時間は、だいたいの目安で、正確な時間ではないところもあります。
本行徳一丁目
(渡御予定 6:00~7:50)
渡御のスタートは、宮元である本行徳一丁目から。
ここまで時間前倒しで進行していましたが、ほぼ定刻どおりの6時開始となりました。
6:05 神明社豊受太神宮の前で神事が始まります。
神輿に神饌を供え、関係者が玉串を捧げます。
後方では大勢の揉み手がこれを静かに見守っています。
神事が終わると、
神輿の周りに揉み手が集まり、行徳打ちの手拍子で心を一つにします。
6:15 1発目のさし
ついに6年ぶりに五ヶ町神輿が上がりました!
放り受け
地すり
知り合いの揉み手の方に、この1発目の揉みの感想を聞いてみたら、第一声は「キツかった~」でした。
やはり五ヶ町の神輿は重くてキツいのかぁ…と思ったら、そういうことではなく、どうやら揉み手に新しい方が多かったようです。
確かにこの1発目は、慣れていない感じの方が目立っていたんですよね。
それがよいとか悪いとかの話ではなく(むしろ新しい方が増えるのは喜ばしいことですよね)。
慣れた人だけで揉むのと、慣れていない人が入るのとでは、負担がまったく違うという話はよく耳にします。
揉み手全員の呼吸がピタリと合うと、重い神輿も無理なく上げられるのだとか。
きっとそれが行徳揉みの醍醐味なんだろうなと想像しています。
なので新しい方もこれから始めようと思われている方も、「行徳揉みはキツイ(キツそうだ)から無理」ではなく、ぜひその醍醐味を味わえるようになるまで続けてみていただきたいなと(もちろん、その後も)。
さてこの後、神輿は一丁目を練り歩きます。
6:25 最初の交差点(行徳街道と寺町通りの交差点)で、すぐにまた揉みを披露。
揉み手の皆さんはずぶ濡れです。
足元が悪い中の地すりは、より危険でより大変そう…。
6:30 雨が強いため、この2カ所で揉んだ後は、神輿を台車に載せて町を渡りました。
本行徳二丁目
(渡御予定 8:00~9:50)
二丁目は、台車を使わずに揉み通したようです。
自分が見たのは、二丁目渡御の終盤から。
9:20 雨のため行徳揉みはさしと放り受けのみで、地すりは省略しているようでした。
9:30 三丁目への引き渡しの時間がせまり、地境に向かいます。
地境付近で、さしと
放り受けをきめた後、
まだまだ終わらない!と、すぐに神輿の向きを変えて
地境と反対方向に逃げていきます。
神輿は前にしか進めないので、向きが変わったら再び行徳揉みからやり直しとなります。
再度さして、
放り受けが終わるとすぐに、役員は馬(神輿を置く台)を台輪の下に差し入れて渡御を終わらせようとします。
馬は神輿の下に入りましたが、その馬に神輿を載せようとする役員とそれを阻止しようとする揉み手との戦いが続きます。
言うことを聞かない揉み手を、役員が「やめんかい!」と扇子でパシッ!
五ヶ町の名物シーンですね(笑)。
昔は扇子がボロボロになるまで叩いたとか。
まさに必死の攻防。
神輿渡し前の最大の見せ場を、ありがとうございます(笑)。
なんとか神輿を馬に載せ、無事に神輿が納まりました。
9:40 行徳打ちの三本締めで二丁目渡御の終了となりました。
町内の渡御を終えた神輿を次の町に渡すのは、本来、白丁の役目です。
揉み手たちは、神輿を担いで次の町との地境を越えることはできません。
ところが今回は、二丁目の揉み手たちが神輿を担いだまま白丁の代わりに地境を越え、三丁目に渡しました。
そういえば白丁の姿が見当たりません。
聞いた話によると、警察から交通警備の数が足りないとのお咎めがあり、白丁は急遽警備にまわったとか。
この祭りに限らず、最近はどの祭りも警察の道路使用許可を得るのがかなり厳しいようです…。
本行徳三丁目
(渡御予定 10:00~11:50)
三丁目からは、雨で滑らないよう担ぎ棒に晒が巻かれました。
9:55 神輿渡しの神事を行います。
10:03 そして一発目のさし。
…と思ったらすぐに、バスを通すためさしたまま端に移動して待機。
(千葉県警さん、いくらなんでもこのタイミングで移動させるのはいかがなものでしょうか。こんな強引な誘導は初めて見た気がします。)
仕切り直して、さし
地すり
放り受け
宵宮編でもご紹介しましたが、三丁目の八幡神社の斜め前には、市川市景観賞を受賞している歴史的建造物の田中邸があります。
家主の田中愛子さんは、行徳の文化の中心人物の一人でもあります。
軒先にも、祭りを祝う気持ちが存分に表れていますね。
その田中邸に敬意を表して揉みを捧げる場面は、ちょっと胸アツでした。
八幡神社では、おかめ会さんによる迎え囃子が奏でられ、神輿のお出ましを待っています。
10:20 境内に神輿が入ってきました。
鳥居の前に神輿を置いて、しばしの休憩です。
揉み手の集合写真も撮影していましたよ。
この後は、神輿を台車に載せてまわるようです。
三丁目も、一丁目と同様に行徳揉みの披露は2カ所のみとなりました。
11:00 神社を出発。
これから台車で町内をまわるのかと思いきや、
そのまま地境を越えて四丁目へ。
ここでも白丁は登場しませんでした。
浦安囃子保存会さんによる迎え囃子が奏でられる中、
11:10 四丁目の神明社前に神輿を置き、三丁目の渡御は予定より40分も早く終了となりました。
本行徳四丁目
(渡御予定 12:00~13:50)
11:20 本降りの雨の中、神輿渡しの神事が行われました。
しかし予定より40分も早いので揉み手はまだ集まっておらず、渡御開始は予定通り12時からとなるようです。
それまで時間があいたので、周辺を散策することにしました。
こちらは明治後期に建てられた有力塩問屋の近代和風住宅、加藤家住宅です。
行徳地域初の国登録有形文化財となっています。
祭りの飾り付けがされ、玄関も開放されていました。
そしてこちらは祭りの催しとして設けられたキッチンカーエリア「四丁目食堂」です。
雨で人も少なめ…。
そうこうしている間に12時近くなったので、神社前に戻りました。
いよいよ四丁目の渡御が始まります。
12:00 雨の中、一発目のさし。
地すりは、立ったまま腰を落とさずに行っていてびっくり。
関係者によるとこれは四丁目独自の揉み方で「腰地すり」と呼んでいるそうです。
通例では行徳街道以外の道路で行うそうですが、今回は雨で通常の地すりが危険なため、最初からこの形をとったようです。
四丁目独自といえば、「おんら(俺たちの神輿の意)」という掛け声もあります。
行徳街道を渡御するときの掛け声は、五ヶ町で「わっしょい」に統一されているため、通例では「おんら」は行徳街道以外の道路でのみ使う掛け声となっていますが、今回は「腰地すり」同様イレギュラー的に、行徳街道でも途中から「おんら」の掛け声が使われたようです。
放り受けもきめ、
神職の先導のもと、行徳街道を進みます。
この後自分はお昼休憩のため一旦離脱しましたが、神輿は三丁目同様旧江戸川方面へは行かず、行徳街道のみを渡御したようです。
13:50 再び戻ったら、神輿は行徳ふれあい伝承館の前。
渡御がちょうど終了したところでした。
この頃には、雨があがりかけていました。
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