神社 | 胡籙神社 |
地域 | 千葉県市川市 関ケ島 |
周期 | 3年に一度 |
日程 | 祭礼日(10月15日)前の土・日 |
今回 | 2024年10月12日㈯・13日㈰ |
次回 | 2027年 |
関ケ島にある胡籙神社の3年に一度の大祭です。
この祭礼では、オスメス2基の獅子頭を台輪に載せずに直接持って巡行します。
獅子頭からのばした胴幕を、子どもたちが「わっしょい」「あおれ」の掛け声で元気にあおりながら、オスとメス別々にまちを練り歩きます。
それぞれの巡行を終えた両獅子が神社に戻り、鳥居の前で獅子を突き合わせるところが最大の見せ場。どちらが強いか力比べをしている場面といわれ、昔からメスの方が強いとされています。
昭和後期から獅子のほかに神輿も出るようになり、「獅子と神輿が両方出る祭り」として50年近く続いてきましたが、令和6年(2024年)の祭礼では担ぎ手不足により神輿が出ず、獅子頭の巡行のみが行われます。
関ケ島(せきがしま):中世、香取市の香取大神宮は行徳を社領とし、「行徳の関」(関所)をおいて行き帰りの人馬から関銭をとっていたと伝えられています。
「行徳の関」がおかれた場所が、当時小さな島だった今の関ケ島と考えられ、地名の由来とされています。
※ただし「行徳の関」は香取付近だったとする説もあります。
獅子頭
製作者 |
後藤直光 |
製作年 |
昭和3年10月 |
アゴ寸法 | 一尺六寸 |
●地元・関ケ島の後藤直光作
古くから災いを祓う神社の守り神として大切にされてきた獅子頭。
(行徳の獅子頭についてはこちらで解説しています。)
獅子頭は地元・関ケ島の後藤直光作で、頭の上に角があるのがオス、宝珠を載せているのがメスです。
祭礼では、獅子頭を台輪に載せずに直接持って担ぐので、耳が取れないように紐で縛ってあります。
この紐は、漆塗りで滑る獅子頭を落とさないよう、担ぎ手が掴むためのものでもあるそうです。
※スケジュールは当日の状況によりずれることがあります。時間はあくまでも目安とお考え下さい。
16:00~19:00
・駄菓子荒稼ぎ 子どもミニゲーム(3種)
・グラウンドゴルフホールインワン大会
・模擬店(焼き鳥、ポップコーン、シフォンケーキ、ソーセージ、各種ドリンク)
昨年の陰祭りで好評だったミニゲームを今年も開催。
ゲームで貯めたポイントにより駄菓子と交換できます。
※小学生ぐらいまでの子ども限定。
昨年の陰祭りの様子はこちらのレポートをご覧ください。
オスとメスの獅子頭は、神社を出た後、休憩所までは一緒に巡行します。
休憩の後、オスメス分かれて別の順路を進みます。
主な休憩・通過ポイントと予定時刻は以下のとおりです。
※当日の状況により大幅にズレることもございます。予めご了承ください。
10:00胡籙神社前出発→10:05行徳街道(旧道)参道入口→10:20伊勢宿との地境(旧道)→10:22旧江戸川沿い→10:32常夜灯前→10:47行徳ふれあい伝承館前→11:00モクレン公園(休憩所)
この後、オスとメスが分かれて巡行します。
●オス獅子
11:20モクレン公園(休憩所)→11:30権現道→11:33関ケ島自治会館(胡籙神社)裏の通り→11:38藤井畳店前→11:53行徳街道(旧道)参道入口→12:00胡籙神社前
●メス獅子
11:20モクレン公園(休憩所)→11:23三町畑公園角→11:31行徳ホワイトハイツ角→11:37TSUTAYA行徳店裏→11:47馬頭観音前→11:52徳蔵寺前→12:00胡籙神社前
獅子は、担ぎ手1人が獅子の下に入り、これを4人で支えます。
オスとメスで別の順路を巡行します。
獅子頭の後ろから胴幕をのばし、子どもたちが大きくあおりながら進みます。
行徳揉みは行いません。
それぞれの巡行を終えた両獅子が神社に戻り、鳥居の前で獅子を突き合わせるところが祭り最大の見せ場。
どちらが強いか力比べをしている場面で、昔からメスの方が強いとされています。
担ぎ手の衣装は行徳伝統の白装束で、手首に晒を巻きます。
豆絞りをねじりはちまきにします。
担ぎ手団体はありません。
地元の皆さまから伺った昔の祭りの話をこちらに残しておきたいと思います。
今後も随時追記していきたいと思いますので、ぜひこちらからお話や写真をお寄せください。
・昔は宵宮の日に夕方から獅子を担いでいました。昭和40年代半ばに獅子だけでは物足りないという声があがり、神輿をリースするようになりました。その後一時中断した年がありましたが、昭和52年ごろから神輿と獅子を両方出すようになりました。
午前中に獅子が神輿の順路を清め祓い、午後にその順路を神輿が巡行するようになりました。
・昔は隣町の伊勢宿と神輿をぶつけ合う喧嘩祭りでした。伊勢宿の神輿を壊して怒らせたこともありました。機動隊まで出動しました。
※これについては、伊勢宿側からも話を聞いております。以下は伊勢宿の祭礼のページに掲載した内容になります。
・お昼休憩時、伊勢宿側に担ぎ手が20人もいないところに、関ケ島の神輿が地境を越えて入ってきたことがあり、伊勢宿は「縄張りを荒らされた」「売られた喧嘩は買う」とばかりに、その人数で神輿をぶつけに行きました。神輿はお互いキズだらけ。そして神輿をさし上げていた関ケ島の担ぎ棒が伊勢宿の神輿の屋根に当たり、大きく破損しました。
伊勢宿の神輿の屋根には、今もそのときの修復の痕が残っています。
・昔は寄付を出さない家に神輿が行き、寄付を求めたこともありました。逆に、寄付を多めに出した家には、厄払いの揉みをしに行きました。
※令和6年(2024年)の祭礼は獅子の巡行のみになりますが、前回の平成30年(2018年)までは神輿を出していました。
まだ「昔の祭り」というわけではありませんが、以下にその記録を残しておきます。
神輿の渡御の掛け声は「わっしょい」で、放り受けの掛け声は「せ~の、よ~い」。
担ぎ手の人数の決まりは無く、音頭取りが左右のバランスを見て決めました。
参道が狭いため、宮入りは鳥居ではなく旧道(行徳街道)の参道入り口で行いました。
大人神輿のほか、子ども神輿も2基出ました。
妙典囃子保存会さんのお囃子が神輿を先導しました。