神社 | 押切稲荷神社 |
地域 | 千葉県市川市 押切 |
周期 | 4年に一度 |
日程 | 祭礼日(10月18・19日)前の土・日 |
今回 | 2024年10月19日㈯・20日㈰ |
次回 | 2028年 |
押切稲荷神社の4年に一度の祭礼です。
神輿渡御では担ぎ手が行徳独特の白装束の衣装に身を包み、「わっしょい!」の掛け声で町を練り歩きます。渡御の始めや途中途中で、伝統の「行徳揉み」が披露されます。
奉納者の家々をまわるため、突然細い路地に入っていくように見える場面もあります。
旧・住居表示では押切だった行徳駅周辺(現在の町名は行徳駅前)に行き、駅で揉む場面は見どころの一つです。
同神社は大通りに面していないため、参道と大通り(行徳街道)の境界に設置された提灯ゲートを鳥居の代わりとして宮入りを行います。神輿を入れて渡御を終わらせようとする役員と、まだまだ終わらせたくない担ぎ手が攻防を繰り広げるのが最大の見せ場。
ゲートをくぐった後は、神輿を静かに境内まで運び、最後の揉みを披露した後、神事で祭りを締めくくります。
以前は宮神輿を所有しておらず、神輿をレンタルして担いでいましたが、平成30年(2018年)に後藤神輿店から寄進を受け、その年の祭礼から宮神輿として担いでいます。後藤直光の匠の技を極めた神輿は必見です。
押切(おしきり):大きな河川が本流から分かれて流れるところを「押切」というそうです。
昔、現在の行徳駅前通りに旧江戸川から東京湾に抜ける水路があり、この地で旧江戸川が分かれていたことが、地名の由来だといわれています。
また、戦国時代に葛西領下鎌田村(現在の江戸川区江戸川、篠崎、瑞江の地域)から村民が移住してきて、「江戸川を押し切って開墾した土地だから」とする説や、「隣村から妨害されたのを押し切って移住したから」とする説などもあります。
大正時代に門前仲町二丁目の町会神輿として作られた後藤神輿です。
平成2年に修復のため同店に持ち込まれましたが、バブル期ということもあり直さずに新調することとなり、この神輿は他所へ売られて行ったとされていました。実際は倉庫に眠ったままで、せっかくなら活用してほしいと平成30年(2018年)に同店から寄進されました。
手打ち仕上げの蕨手や手の込んだ彫刻など、後藤直光の最高潮のころの作といわれる非常に価値の高い神輿です。
この神輿についてさらに詳しく解説しています。
こちらのページをご覧ください。
2022年より駒札に龍の彫刻が付きました。
また2024年の祭礼に向け、飾り棒が新調されました。
この神輿は2代目で、先代は後藤直光の黒塗りの神輿でした。
昭和期に押切だけ子ども神輿が無かったので、子どもたちが何銭とお小遣いを貯めて積み立てをしていたら、後藤神輿店がお金はあとでいいからと作ってくれたとか。
しかしその神輿は平成元年の拝殿の火事の時に焼失してしまいました。
※スケジュールは当日の状況によりずれることがあります。時間はあくまでも目安とお考え下さい。
16:00~20:00
16:00~17:00 子ども向けゲーム
17:00~18:00 奉納演芸大会(踊りや演奏など)
18:00~20:00 神輿実演講習会
18時から神輿実演講習会が開かれます。
祭り衣装(白装束)の着方から神輿の揉み方まで、神輿を担ぐのが初めてという人も基本から学べます。
白装束または動きやすい服装でお集まりください。
宮神輿、子ども神輿、山車が巡行します(子ども神輿と山車は先に終了)。
主な休憩・通過ポイントと予定時刻は以下のとおりです。
近くに目印となる建物などが無い場合は通りの名称を記載しています。同じ通り名でも異なる場所がありますので、青字をクリックして地図でご確認ください。
※当日の状況により大幅にズレることもございます。予めご了承ください。
10:00稲荷神社 → 行徳街道 → 10:30伊勢宿バス停前(休憩) → 11:30押切いこいの家(昼食休憩)13:00 → 13:20おかね塚前(休憩)→ 14:00行徳駅前通り → 14:35江戸川土手 → 15:40おかね塚前 → 16:00グランドール川秋前(休憩)→ バイパス横断 → 16:20西友行徳店前 → 16:30行徳駅前(休憩)16:50 → 千葉銀行行徳支店前 → 17:10藤屋商事前 → 17:20川上商事前(休憩)→ バイパス横断 → 17:40行徳駅前通り (休憩)→17:50行徳駅前通り →18:00押切バス停付近(休憩)→稲荷神社
2024年の見どころポイント
①子ども神輿は14:40ごろに渡御を終了した後、行徳駅に移動して待機し、宮神輿が来たら一緒に揉むそうです。
駅での揉みが、さらににぎやかに盛り上がりそうですね。
②宮神輿に今回初めてLEDライトを設置し、日没後は神輿がライトアップされます。
暗闇に浮かび幻想的に光り輝く宮神輿にぜひご注目ください。
また神社境内もLEDでライトアップされ、これまでの祭りとは雰囲気が変わるようです。こちらも楽しみですね。
担ぎ手の人数の決まりは無く、20人前後で音頭取りが左右のバランスを見て決めます。
渡御の始めと終わり、あるいは途中要所要所で「さし」「放り受け」「地すり」という行徳独特の揉みを行います。
渡御の掛け声は「わっしょい」で、放り受けの掛け声は「せ~の、よ~い」。
担ぎ手の衣装は行徳伝統の白装束で、手首に晒を巻きます。
豆絞りを細長くたたんで頭に巻きます。
※担ぎ手団体についての詳細はこちらをご覧ください。
青和会
発足 :2009年(平成21年)
会員数:12~13名
※お囃子についての詳細はこちらをご覧ください。
令和6年(2024年)の祭礼では、これまでと変わり妙典囃子保存会さんと本塩囃子保存会さんがお囃子を演奏します。
地元の皆さまから伺った昔の祭りの話をこちらに残しておきたいと思います。
今後も随時追記していきたいと思いますので、ぜひこちらからお話や写真をお寄せください。
・昔は4トントラックより大きいサイズの山車があり、提灯や花をつけて飾り、お囃子を乗せて宵宮(夜)に綱で曳きました。
重くて少しずつしか進みませんでした。
ハンドルがなかったので、青年団が丸太で向きを変えていました。
・神輿は男性、山車は女性や子どもたちのためのもので、女性は神輿に触れてはいけないとされていました。
・祭りは豊作の年に開催するとされ、1年おきぐらいに行っていました。
よその町がやると青年団が「うちもやりたい」と言い出し、自治会役員に「やらせてほしい」と頼みに行きました。
祭りの2~3日前に開催が決まったこともありました。
・昔のレンタル神輿は軽すぎて、60㎏の俵を2俵、前と後ろに積んでわざと重くして担いだことがありました。
・旧道で揉んでいたとき、バスにクラクションを鳴らされ、頭に血が上った担ぎ手たちが神輿の担ぎ棒でバスに突っ込んだことがありました。
・昭和30年代ごろ、押切から神輿を担いで行徳街道を進み、湊、湊新田、香取、欠真間を越え相之川のT字路の先まで行ったことがありました。役員に怒られたので、役員だけでは動かせないようにするため神輿をわざと地面に直置きしました。「神様が乗っている神輿を地面に置くなんてけしからん!」と扇子で叩いて怒られました。
・宮入りのときも、役員によく扇子で叩かれました。
・祭りの後、銭湯が貸し切りになって開放されました。
・昔からお酒、入れ墨、アクセサリー禁止。2階から神輿を見下ろすのも、神輿の上に子どもを乗せるのも禁止です。
・こちらは神輿をレンタルしていたころの行徳駅での揉みの写真です。