2023上妙典の祭礼レポート①からの続きです。
※上妙典とは、妙典八幡神社の氏子地域である現在の妙典一・二丁目を指しています。
また下妙典とは、妙典春日神社の氏子地域である現在の妙典三丁目を指しています。
地境式が終わり、いよいよ渡御の開始です!
その地境式の中で、下妙典側から「神輿でぜひ妙典三丁目の方まで清めてください」との申し入れがありました。
前回の祭礼でも、お互いに地境を越えて神輿や獅子頭のもみを披露し合ったそうですが、今回はそれが式の中で正式に申し入れられたことになります。
そこで式終了後、神輿はそのまま地境を越え、
春日神社の前でもみを披露しました。
下妙典の役員の方も、これを見守っています。
上妙典と下妙典はその昔、祭りとなると派手に喧嘩していたといいます。
それを避けるため、警察の指導により同じ年に祭りを行わなくなったそうです。
そんな歴史を思うと、なかなか胸アツな場面ですね。
中神輿に続き子ども神輿もここでもみを披露し、
上妙典に戻っていきましたが、気付けば子ども神輿について歩く人たちが、かなりの人数に膨れ上がっています。
こんな光景、行徳の祭りでは初めて見た気がします。
これだけの人が集まったのは、今回御仮屋となっているオアシス妙典の集客効果も大きいと思われます。
オアシス妙典が御仮屋となった背景については、この祭礼の紹介ページに追記しましたので、ぜひそちらもご覧ください。
この日はそのオアシス妙典でマルシェが開催され、模擬店やキッチンカーが出て多くの人を集めていました。
神社境内の模擬店も、相乗効果で大変にぎわっていましたよ。
さて、話を元に戻しましょう。
下妙典から戻った中神輿は、オアシス妙典の前で行徳もみを披露した後、
町内渡御に出発。
当サイト管理人は、伊勢宿の祭礼の宮出しを見に行くため、ここで一旦離脱しました。
伊勢宿の宮出しと渡御を見届けた後、再び上妙典に戻り、神輿の隊列を探します。
すぐに子ども神輿を見つけましたが、子どもの山車はこのときすでに終了しており、写真を撮り損ねてしまいました(泣)。
子ども神輿の前を行く中神輿にも追いつきました。
関係者宅の前や交差点など、要所要所で行徳もみを披露しながらまちを練り歩きます。
そして再び旧成田街道(オアシス妙典が面する通り)に戻ってきました。
トラックで神輿を先導するお囃子も、おかめやひょっとこの踊りで、盛り上げています。
今回この中神輿が祭礼デビューしたことで、上妙典の祭礼で初めて放り受けが行われるようになりました。
大神輿は放り受けを行いませんので、元々上妙典では行われていないもみ方になります。
朝のうちはまだ慣れないためか神輿の放り方も控えめでしたが、終盤では神輿が堂々と高く上がるようになりましたよ。
(この記事に掲載してきた放り受けの写真を順に見ていただくと、その経過がよくわかるかと思います。)
こうしてお昼過ぎに中神輿の渡御が終了。
神輿は大神輿と並んでオアシス妙典の敷地内に鎮座しました。
午後は、いよいよ大神輿の登場です。
大神輿の飾り紐は3年前の祭りに合わせて新調されましたが、そのときはコロナで中止となったため、今回は飾り紐が新しくなってから初めての渡御となります。
以前より太い網掛けの紐になり、神輿が引き立ちますね。
渡御の始まりは、もちろん行徳もみから。
この大神輿は推定1トンといわれ、台座の大きさの割にあえて重く作られているので、重心が不安定で余計に担ぐのが難しいそうです。
こちらは神輿に肩を入れる瞬間の写真ですが、担ぎ手の皆さんの表情が、この神輿の重さを表していますね。
大神輿は旧成田街道の1本道のみを往復します。
隊列の先頭はお囃子、
続いて榊とお清めの塩、
そして神輿が続きます。
土手近くの交差点では、担ぎ手の足元にお清めの砂が撒かれていました。
これは担ぎ手たちが各自手のひらにつけて、神輿の棒から手がすべらないようにするためのものだそうです。
上妙典ならではの作法ですね。
大神輿のもみは、地すりとさしのみです。
神輿が重すぎて危険なため、放り受けは行いません。
旧成田街道を引き返し、
オアシス妙典前で再び休憩をはさみ、
向かったのは、下妙典。
大神輿も地境を越え、下妙典春日神社前でもみを披露しました。
これで上妙典すべての神輿が下妙典でもんだことになります。
このときのもみは地すりをせず、さしだけでした。
交代要員も少ない中での千貫神輿渡御は、そろそろ限界に近かったのかもしれません。
あるいは、伊勢宿との神事の関係で渡御の終わりの時間が決められていたため、時間を短縮したのかもしれません。
再びオアシス妙典に戻り、そこで渡御は終了となりました。
神輿が置かれると、宮入りに向けて担ぎ棒を4点棒から2点棒に戻します。
一方、中神輿は先に宮入りするため、道路の真ん中で待機中。
そして宮入りが始まります。
まずはオアシス妙典前で行徳もみを披露し、
参道へ向かいます。
女性の担ぎ手が多いですね!
そして参道入口で再び行徳もみ。
宮入りの「神輿を入れろ」「まだまだ入れるな」の攻防は、この参道入口(旧成田街道と参道との境界)で行われますが、
ほぼ抵抗もなくそのまますんなり参道に入り、
あっという間の宮入りとなりました。
ちょっと拍子抜けの感はありましたが、メインは大神輿ですものね。
ここは時間をかけずにさくっと。
最後に境内でもんで、渡御を締めくくります。
行徳打ちの一本締めで、中神輿の初めての祭礼渡御は終了となりました。
残すは、大神輿です。
こうして中神輿の後に見ると、あらためてその大きさを感じますね。
2点棒になって担ぎ手の人数も減り、ますます重いんだろうなぁ。
参道入口で行徳もみを披露しますが、
地すりは神輿が傾き、危険な状態。
あわててたくさんのサポートが入ります。
なんとか地すりを終え、参道に突入!
抵抗するかな?とも思いましたが、こちらも1回ですんなり入りました。
先ほどの地すりの状況を見たら、それも致し方ないですね。
決められた終了時間も考慮されたのかもしれません。
境内でももまず、そのまま神輿を置いて、3本締めで渡御終了となりました。
担ぎ手の皆さま、本当にお疲れさまでした!
その後、神輿を慎重に神輿庫に納め、
御霊還しの神事が行われました。
玉串奉天の最後には、音頭取り頭に合わせて全員で柏手を打ち締めくくりました。
こうして、2日間の祭りは幕を閉じました。
妙典の人たちは昔から地域の団結力が高いといわれているそうですが、それは今回の一連の祭りを拝見していても感じられました。
コロナ禍で6年ぶりの開催となったことで、以前よりもみがキツく感じられたという方も多かったようです。
やはり6年という歳月は長いですね。
祭りを途切れさせずに続けていくことの大切さをあらためて感じました。
次回3年後も無事に開催されることを祈りながら、その日を楽しみに待ちたいと思います。
関係者の皆さま、本当にお疲れさまでした。
下の各カテゴリをクリックすると、 同じカテゴリのすべてのブログ記事を閲覧できます。
また、その下のアイコンをクリックすると記事のシェアができます。
↓↓↓
コメントをお書きください
渋谷 康夫 (月曜日, 29 1月 2024 15:17)
行徳もみはほかにもあるのは浦安が似ています。行徳から教えてもらったみたいです詳しい事は今年の浦安祭でわかると思われます以上です。
わっしょい!行徳 (月曜日, 29 1月 2024 17:33)
渋谷様
いつもコメントありがとうございます。
浦安のもみ方は行徳と似ていますね。
やはり発祥は行徳でしょうか。
今年は浦安三社祭、楽しみですね!