湊水神宮まつり

神社

湊水神宮

地域 千葉県市川市 湊
周期 毎年
日程 6月最終土曜日 ※祭礼日:6月30日

■祭りの概要

行徳の二大夏祭りの一つ。地元では「水神様のお祭り」として親しまれています。

本来の祭礼日は6月末日ですが、平日の祭り開催は難しいことから、平成16年より開催日は6月の最終土曜日とされました。

この祭りを皮切りに行徳の夏祭りシーズンが始まります。

 

湊水神宮は、旧江戸川のほとりにある小さな祠で、普段は人の姿もほとんど見られませんが、祭り当日は、堤防沿いに所狭しと並ぶ100店以上の露店を目当てに数千人の人が集まり、大賑わいとなります。

浴衣や甚平姿の人も多く見られ、夏の風情を味わえる祭りです。

 

夕方になると参拝者の長い行列ができ、神社周辺や堤防の上は身動きができないほどの人であふれます。

参拝者には「おこもつ」(注)と呼ばれるお菓子の詰め合わせが配られます。

 

この祭りでは神輿の渡御は行われませんが、行徳街道沿いに設置される神酒所には、水神宮の神輿と獅子頭が展示されます。

 

(注)地元の人の話によると、「おこもつ」は「おくもつ」の行徳弁とのこと。

■地域

水神宮まつりの主催は湊自治会ですが、行徳中から人が集まり、行徳全体の祭りのような規模となっています。

■地名のいわれ

湊(みなと):昔は今の押切、伊勢宿、関ケ島の場所に江戸川(現:旧江戸川)の河口があり、押切と伊勢宿は川の底、関ケ島は島でした。

 

平安~戦国時代を通じて、行徳は、国府が置かれた国府台への物流の中継地点であり、この辺りは大船が海辺から川に入るための入り口でした。入港した大船の船上で商品が売買され、その場所を湊と呼んでいました。

 

江戸時代になり、徳川幕府が寛永2年(1625年)ごろまでに押切と伊勢宿の地で江戸川を締め切り、流路を現在の浦安方向へ変えた(注)ため、本行徳と関ケ島と欠真間は地続きになりました(押切・伊勢宿は埋め立て後の新地)。

 

寛永6年(1629年)に最初の塩浜検地が行われた際、欠真間の地を分割し、最も本行徳に近い場所を湊村と名付けたそうです。

 

(注)江戸川の変流工事以前、本行徳より南側の村は、江戸川の真水がたくさん入るため、年貢を納めるほどの塩は生産できませんでした。浦安を河口にすることにより、行徳地先の海水の塩分濃度が濃くなり、塩の生産性が向上しました。

昭和7年の地図ですが、江戸川の元の流路の位置が地図上で確認できます
昭和7年の地図ですが、江戸川の元の流路の位置が地図上で確認できます

「今昔マップ on the web」より

※リンクをクリックすると大きい地図が見られます

 



神輿と獅子頭

水神宮の神輿(湊の町会神輿)

製作者

不詳(修復:中台祐信)

製作年

不詳(修復:令和4年6月)
台輪寸法 二尺

製作者や製作年は不詳ですが、かなり古い神輿と思われます。

令和4年(2022年)6月に、42年ぶりの修復が行われたばかりで、現在は新品同様となっています。

上の写真をスライドすると、神輿の変遷がわかります。

水神宮の飾獅子頭

製作者

不詳

製作年

不詳

アゴ寸法

六寸六分(当サイト計測)

祭礼時、神酒所の祭壇に飾られます。

製作者や製作年は不詳ですが、かなり古いものと思われます。



祭りについて

※スケジュールは過去の祭りのもので、次回開催時は変わることがあります。

開催時間:15:00頃~21:00

※人出のピークは17:00頃から。

 

令和2年(2020年)以降、コロナ禍で露店の出店が中止となり、神事と参拝のみの静かな祭りとなっています。

露店が立ち並ぶ本来のにぎやかな祭り風景の写真は手持ちがありませんので、祭りが再開されましたら撮影してアップしたいと思います。

 

令和4年(2022年)の祭りの詳細はこちらのブログで紹介しています。

 

■祭り案内



お囃子

湊囃子連の発足は江戸時代。行徳で最も古いお囃子会とされていますが、昭和31年(1956年)に会が消滅し、活動が途絶えてしまいました。

平成29年(2017年)に、地元有志により当時の楽器を継承して再結成。

その翌年の水神宮まつりで、初の演奏お披露目となりました。




湊水神宮

千葉県市川市湊1-22

 

東京メトロ東西線 行徳駅徒歩8分(行徳駅前通り経由で約650m)

湊水神宮の場所は、旧江戸川の押切水門前です。

江戸時代には「祭礼河岸」(注)として賑わった場所で、銚子などから馬で運ばれた水産物や農作物などをこの辺りから船で江戸に出荷していたそうです。

「祭礼」河岸と呼ばれたのはこの湊水神宮があったから。当時から祭りが行われていたことが伺えますね。

 

(注)地元の人は「さいれいがし」ではなく、行徳弁で「せいれんがし」と呼んでいたそうです。

【祭神】   

水神

 

【創建】

寛政6年(1794年) 

 

■Googleマップ



ここからはかなりディープな話になっておりますので、歴史に興味のある方はどうぞお読みください。


■湊水神宮の歴史

湊水神宮の歴史については、祠の中から見つかった3枚の棟札により以下3点が明らかになっています。

 

①建立は寛政6年(1794年)

オモテ
オモテ
ウラ
ウラ

 

オモテ面の文字は色落ちしていますが、墨書きの文字の部分が浮き彫りになって残っておりますので、なんとか文字を読むことができます。


素人ながらに判読してみました。

 

オモテ

【右】寛政六龍次甲寅 下総國葛飾郡行徳領 信心願主湊村中

【中央】奉 新造営水神尊寚殿一宇卿中安栄??? 別當圓明密院???

【左】???六月???吉祥旦

 

これによると、湊水神宮は寛政6年(1794年)に湊村の人たちによって建てられ、圓明院が別当寺として管理を行っていたようです。

圓明院は水神宮のすぐ近くにある真言宗のお寺。創建は、室町時代の永禄3年(1560年)です。

圓明院の公式サイトには、13世ご住職が「水神宮や行徳駅前の弁天様などのお宮の別当を勤めた」と書かれています。

 

※???の部分は文字が読めませんでした。画像から判読できる方がいらっしゃいましたら、ぜひこちらからご教示いただけると幸いです。

 

 

②明治42年(1909年)にお宮を再建

オモテ
オモテ
ウラ
ウラ

 

明治42年(1909年)の棟札です。

寛政6年のものよりはだいぶ見やすいですが、やはり読めない部分があります。


 

オモテ

【右】或漂流巨海 龍魚諸鬼難

【中央】奉 再建立水神宮本社一宇村中安全???

【左】念彼観音力   波浪不能没

 

調べたところ、左右の五字熟語は4つ合わせて観音経の一部分になるようです。

 

或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力   波浪不能没

 

意味は「あるいは大海を漂流して、龍や怪魚や鬼に襲われても、観音の力を念ずれば、波の中に没することはない」。

水神様だけに、水難除けに関するお経のようです。

 

ウラ

明治四拾弐年六月晦日遷宮式挙行 地主青山又三郎

(他18人の名前)

 

この棟札のオモテとウラから、明治42年にお宮を建て直し、祭りのとき(6月30日)に遷宮式が行われたことがわかります。

③昭和29年(1954年)に現在地に移築 昭和32年(1957年)に今のお宮を建立

オモテ
オモテ
ウラ
ウラ

 

昭和29年(1954年)の棟札です。

これぐらいの年代になると、オモテ面はかなり読みやすくなりますね。

ウラについては、関係者の方による判読を教えていただきました。

 


オモテ

【右】町内安全

【中央】奉 再建立水神宮本社

【左】水難守護

 

ウラ

【右】昭和二十九年江戸川堤防工事施行ノタメ従来ノ近隣ニヨル管理ヲ部落持トナシ現在地に移築 昭和三十二年六月三十日落成 遷宮祭ヲ挙行ス

湊自治会 会長宇田川健太郎

(他 名前)

明治42年(1909年)に再建された祠は、今より30mほど下流の私有地にあり、湊の上(かみ)(注1)の「一の組」という近隣5~6軒のグループで火守り(ひもり)(注2)をしていたそうです。

 

 

(注1)当時は湊を3つの地域に分け、江戸川の上流側から上(かみ)、中央、下(しも)と呼んでいたそうです。「一の組」は上(かみ)にあったそうです。

 

(注2)水神様の世話人を「火守り」と呼ぶそうです。これは、江戸川を航行する夜船のためにかがり火を炊いていたことが由来とのこと。

地元の人は行徳弁で「しもり」ともいうそうです。

水神宮より30mほど下流のマンションの敷地内にある弁天様。昔は水神宮もこの辺りにあったそう
水神宮より30mほど下流のマンションの敷地内にある弁天様。昔は水神宮もこの辺りにあったそう

この棟札によると、現在地に移されたのは、昭和29年(1954年)。

旧江戸川の堤防工事のため移転を余儀なくされ、私有地にあったお宮が今の県有地に移築されたそうです。

神社の案内板に「祭礼の形態として年々盛大になり」とあるように、年々盛大になる祭礼を「一の組」だけでは管理しきれなくなり、この移転の際に、村全体での管理に変えたそうです。

 

昭和32年(1957年)の祭りのとき(6月30日)に今のお宮ができ、遷宮祭が挙行されたようです。

湊自治会ができたのもこの年です。

 

 

昭和37年の水神宮。今と同じ場所、同じお宮です。現在は屋根と外壁の板金は改修されています。
昭和37年の水神宮。今と同じ場所、同じお宮です。現在は屋根と外壁の板金は改修されています。

 

 

この湊水神宮は、現在計画が進められている「(仮称)押切・湊橋(注1)の架設のため、今後移転しなければなりません。

移転先は、湊の川沿いの場所で探しているそうですが、どこに落ち着くか大変気になるところです。

 

(注1)これまで「(仮称)押切橋」とされてきましたが、押切と湊両地域に関わることから(実際、移転の大部分は湊だそうです)、地元の人たちの要望により、現在の名称は「(仮称)押切・湊橋」に変わっています。