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2025大森神社例大祭

2年に一度の大森神社(東京都大田区)の例大祭に行って来ました。

 

大森とのご縁のきっかけは、2年前に行徳まちづくり協議会から発刊された冊子「後藤神輿とその時代」。

 

この冊子に詳細不明として掲載された山車(P.40)が、大森本町北町会さんの山車であると判明したことから始まります。

冊子には、後藤神輿店前で北町会さんの神輿をトラックに積んだ写真も掲載されており(P.30)、不明とされていた神輿の詳細も判明。

その年の行徳神社めぐりには北町会さんご一行がお越しになるなど、現代における北町会さんと行徳とのご縁が始まりました。

 

そして今回の例大祭では、行徳のお囃子団体・湊囃子連さんがお囃子で初参加。

当サイトも9月14日㈰にお邪魔してきましたので、神輿と山車、そして祭りの様子をレポートしたいと思います。


後藤直光の神輿と山車

まず最初に、ご縁をつないでくれたその神輿と山車をご紹介したいと思います。

 

神輿は昭和9年の後藤直光作。

年代から見て、後藤6代三吉氏の作と思われます。

サイズは一尺八寸で、北町会さんの中神輿の位置付けだそうです。

 

総彫り屋根で、屋根紋のまわりにも龍の彫刻がまわっています。

 

さすが「彫りの後藤」。

精巧な彫刻の数々に目を奪われます。

 

堂羽目(神輿の左右の胴の部分)の彫刻も見事です。

詳しい方に教えていただいたところ、正面から向かって左には天の岩戸が描かれているとのこと。

 

戸を開けているので天の岩戸だろうなとは思いましたが、具体的にどれが何を表しているのかわからず、教えていただきましたよ。

そしていま一度、古事記も読み返してみました。

 

≪天の岩戸の神話≫

天照大御神が弟のスサノオノミコトの横暴に嘆き悲しみ、天の岩屋に隠れてしまうと、世界が闇に包まれてしまいます。

神々は天照大御神に出てきてもらうための策を練ります。

まず常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり/画面左手前)を集めて鳴かせ、夜明けを演出させます。

またアメノウズメノミコト(画像中央)が岩戸の前で胸をはだけて踊り、神々は大騒ぎ。

不思議に思った天照大神が天の岩戸を少し開けると、アメノウズメノミコトが「あなたさまより立派な神さまがいらっしゃっるので、みな喜び歌い踊っているのです」と告げ、アメノコヤネノミコトとフトダマノミコト(画像右)が鏡を差し出します。

鏡に映る自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神が、その姿をもっとよく見ようと岩戸をさらに開けると、隠れていたアメノタヂカラオノカミ(画像左)が重い岩戸をこじ開け、天照大御神を岩屋の外へ引き出します。

すぐにフトダマノミコトが注連縄を天照大御神の後ろに引き渡して、「これから内へお戻りになれません」と言います。

こうして世界に明るさが戻ります。

岩戸の向こうからは光もさしていますね。

 

 

さて、もう一方の向かって右の胴の彫刻に描かれているのは、神武天皇即位の場面だそうです。

神武天皇は日本の初代天皇とされる人物です。

日向(宮崎県)を出発して瀬戸内海を渡り、大和(奈良県)へ向かい、これを平定して(東征)橿原の地で都を開き、橿原宮で即位して初代天皇となります。

これはその即位の場面で、一番左にいるのが神武天皇です。

この即位日は西暦では紀元前660年2月11日とされ、この日が日本の「建国記念日」の元となっているのだとか。

 

さて話を戻しましょう。お次は山車。

赤い太鼓に彫刻の色鮮やかな絵柄がインパクトありますね。

 

こちらも昭和9年の後藤直光作です。

同年に神輿と山車を新調されたことになりますね。

 

この彫刻でも天の岩戸が描かれています。

先ほどの解説から、胸をはだけて踊るアメノウズメノミコト、岩戸を開けるアメノタヂカラオ、夜明けを告げる長鳴鳥が見てとれると思います。

太鼓の上にいるのは、猿田彦と思われます。

 


北町会子ども神輿・山車巡行

さて、ここからは祭りレポートとなります。

 

大森神社は、京急の平和島駅から徒歩3分ぐらいのところにあります。

 

今回お邪魔した大森本町にはかつては大森魚市場があったそうで、旧東海道の美原通りには大漁旗が飾られていました。

 

自分が到着したのは、ちょうど子ども神輿の渡御が終わるころ。

 

山車の巡行も最後のところだけなんとか見ることができました。


四町神輿連合渡御

午後からは、大森神社の氏子四町(大森本町北町会、大森本町二丁目 仲町会、大森本町二丁目 新地町会、大森東一丁目町会)による神輿連合渡御です。

 

北町会さんの神輿は、先に紹介した後藤の中神輿ではなく、浅草の大神輿です(後藤神輿は前日に出たそうです)。

 

各町の神輿を見てみると、浅草優勢でしたが、行徳の中台祐信作もありましたよ。

北町会 浅草・濱田商店 伊吹圭蔵作
北町会 浅草・濱田商店 伊吹圭蔵作
仲町会 浅草・岡田屋布施作
仲町会 浅草・岡田屋布施作

新地町会 行徳・中台祐信作
新地町会 行徳・中台祐信作
東一丁目町会 浅草・濱田商店 伊吹圭蔵作
東一丁目町会 浅草・濱田商店 伊吹圭蔵作

 

各町の高張提灯と神職さんを先頭に、

 

仲町会、

 

東一丁目町会、

 

新地町会、

 

北町会の順番で神輿を連ねて渡御します。

 

どの神輿にも太鼓が付いていて、それを叩きながら進むのが特徴的。

さらに仲町会と北町会の神輿は親棒に横棒のみが付けられ、担ぎ手が内側に向かい合って担ぎ、横向きに進んでいたのが興味深かったです。

 

そして旧東海道の美原通りでは、かつての参道のところで、神社に向けてそれぞれ神輿をさし上げていました。

 

この様子は、動画にまとめていますので、よろしければこちらもご覧ください。

 

祭り見学後、近くにある海苔をテーマにした博物館「大森 海苔のふるさと館」も見てきました。

大森といえば海苔!

浅草出身行徳在住の自分としては海苔といえば浅草、行徳なので、神輿以外のところでもつながりを感じ、ちょっとうれしくなりました。

 

大森本町北町会の皆さま、当日は細やかなお気遣いをいただきありがとうございました。

そして出張演奏をされた湊囃子連の皆さま、お疲れさまでした。

 

 

 

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