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五ヶ町の祭礼:下新宿渡御にまつわる諸説の疑問点

五ヶ町の祭礼のページに、「なぜ隣町の下新宿にあいさつにいくのか」の諸説を掲載いたしましたが、そのうちの2説について疑問点が寄せられました。

 ②昔、下新宿で布教をしていた人が行き倒れになりました。その人は仏像を所持していましたが、下新宿にはすでに神社があったので、本行徳一丁目の神社にまつられました。そのため、祭礼のときには下新宿にあいさつに行くようになりましたが、ある年、このあいさつをせずに祭りを行ったところ、疫病が流行りました。これはあいさつに行かなかった祟りによるものだといわれ、以来、下新宿への渡御を欠かさなくなったと伝えられています。

・本行徳一丁目の神社も江戸初期より存在するのに、なぜ下新宿の自分の神社に祀らず、一丁目の神社へ仏像を持ってきたかが、疑問。

・仏像が一丁目の神社に納められているならば、下新宿の神社に御礼参りに行く必要がない。逆に、下新宿の人が一丁目の神社に御礼に来るはず。

・江戸時代には神仏習合であったので、仏像を神社に安置するのはおかしくはないが(現に一丁目の神社の御神体は、雨宝童子=大日如来の化身)、どんな仏像であったか不明。

 

 ③昔、下新宿の生花店手前の裏庭に、朽ち果てた小さな祠がありました。当時の下新宿は戸数も少なく、祠の建て替えもままならなかったため、本行徳一丁目の人たちが現在の神明(豊受)神社のところに社を建て、祠の何かを御神体とし、地域の氏神様としました。そのため、大祭のときには下新宿にお参りに行き、下新宿側も地境で丁重に出迎えるのだと伝えられています。

本行徳一丁目の神社は本行徳中州(現・江戸川区篠崎)から移転したことがはっきり明記されていて、下新宿から来たご神体を氏神様にしたという話は伝わっていない。

 

以上の話は、昔話の伝えであろうが、上記のようにいくつかの矛盾がある。ただ、下新宿とは五ケ町の祭礼に置いて、昔から切っても切れない関係が続いていたことは確かであろう。その関係性は未だに明白でない。(市川市本行徳 Mさん)

 



 下新宿の神社は寛永12年(1635年)創建。

一方の本行徳一丁目の神社は、同じ年に本行徳中洲から今の地に遷座されましたが、元の地に鎮座したのは、大永年間(戦国時代)とする資料や、平安時代にはすでに存在し行徳の人が塩を納めていたとみる資料もあるようです。

いずれにせよ下新宿の神社より歴史はずっと古いため、ご神体にまつわる②③の説は確かに疑問も多く残りますね。

今後真相が解明されることはなさそうですが、地元に伝わる昔話として、どれも残しておきたい気もします。(2021/1/20 WG)