行徳には、かつて行徳神輿の名を世に知らしめた2つの老舗神輿店がありました(どちらも平成時代に廃業)。
1つは浅子神輿店で、本行徳にあるその店舗兼主屋は、整備され、平成30(2018)年より「行徳ふれあい伝承館」として公開されています。
もう1つは後藤神輿店で、今も関ケ島に当時の店舗と工房が残されています。
今回、ご縁あって建物の内部を見せていただくことができましたので、ご紹介させていただきたいと思います。
後藤神輿店は、江戸時代より堂宮彫刻を生業とした家系で、大正以降「神輿師・後藤直光」の名を冠し数多くの神輿を世に送り出しました。
行徳では、上妙典八幡神社の中神輿(町会神輿)と押切稲荷神社の神社神輿が後藤直光作です。
また、下妙典春日神社と関ケ島胡籙神社の獅子頭も後藤直光作です。
後藤神輿店の歴史は平成半ばに幕を閉じましたが、後藤直光の真髄である精巧にして重厚な彫刻が施された神輿は、廃業した今も全国の神輿ファンから高い支持を集めています。
昨年は、行徳まちづくり協議会から写真集「後藤神輿とその時代」が発刊され、あらためてその名が脚光を浴びましたね。
では、早速建物の中を見てみましょう。
まずは店舗です。
いつもは閉まっている扉を、今回少しだけ開けていただき、
内側から外を見たのがこの写真。
大きなガラスの引き戸や、間口いっぱいの土間は、浅子神輿店(行徳ふれあい伝承館)と同じ造りですね。
そして中はというと、当時の姿がそのまま残されており、まるでタイムスリップしたかのよう。
こちらも広い板張りの床や正面の壁の神棚、横の壁一面のガラス戸棚、急勾配の階段と階段下収納など、浅子神輿店と似ています。
昔はこのような造りが多かったのでしょうか。
正面には、「奉祝 皇太子殿下御降誕」と書かれた大きな木札が立てかけられています。
昭和8(1933)年の皇太子(上皇陛下)誕生の際に行徳町有志により後藤神輿が献上されたそうですが、そのときのものでしょうか。
そして壁には感謝状がたくさん掲げられており、その功績を伝えています。
中には大正時代のものもあります。
これは歴史的資料としても大変貴重なものかと思います。
さて、お次は「後藤神仏具店」の名前が掲げられている隣の工房です。
こちらはシャッターを上げ、扉も大きく開けていただきました。
この建物も大きなガラスの引き戸ですね。
壁には、やはり感謝状がたくさん並んでいます。
こちらは昭和50年代以降の、比較的新しい年代のものです。
そして室内。
天井を見ると、何やら四角い扉があります。
これはいったい何でしょう?
正解は、神輿を吊り上げるための扉だそうです。
神輿を工房に入れるときは、神輿を載せたトラックを外からそのまま室内に入れ、神輿を2階からクレーンで吊り上げて下ろしていたそうです。
その2階の床はというと、こうなっています。
そしてこちらは2階の天井クレーン。
重い神輿もこれで吊り上げることができたんですね。
工房には、製材機や木材、道具などもそのまま残されています。
ここで作業をしていた在りし日の様子が目に浮かぶようですね。
壁には定規や型のようなものが下げられています。
かなりの数ですが、これにより、同じ割寸(バランス)の神輿を効率的に作ることができたのだとか。
この工房で数々の傑作が生みだされたのかと思うと、感慨深いものがあります。
後藤直光の作品は、行徳の神社やお寺でも気軽に見ることができますので、ぜひその素晴らしさに触れてみてください。
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田中愛子 (火曜日, 30 1月 2024 08:10)
康男さんが早速電話くれてあなたの取材を大変喜んでいます、何と言っても優しさに心通うのです。私も嬉しいです♪良い兆しは何歩も前進次の良き発展に繋いで行く事です。いい撮影です。
わっしょい!行徳 (火曜日, 30 1月 2024 08:59)
愛子さん、いつも温かいコメントをありがとうございます。
この取材では後藤神輿の歴史を肌で感じることができ、大変感激いたしました。
取材の機会をいただけたことに感謝したいと思います。
行徳の誇りである行徳神輿の素晴らしさを、少しでも多くの方にお伝えしていけたらと思っています。