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押切稲荷神社の宮神輿

6年ぶりに開催される押切の祭礼に際し、後藤神輿に詳しい志ん一さん(注)に、押切の宮神輿の価値と見どころについて教えていただきました。

初心者にもわかりやすいよう、説明写真や解説を入れて詳しくご紹介いたします。

 

 

(注)志ん一さんは旭市の方ですが、彫刻や後藤神輿に造詣が深く、行徳の神輿関係者にも通じていらっしゃいます。

後藤神輿店の2代目の看板も所有されているほか、2022年に発刊された郷土本「行徳の歴史と神輿と祭り」の制作にも協力されています。

※志ん一さんにこれまでお寄せいただいたご投稿はこちら。

後藤神輿店の2つの看板

後藤直光に関する情報①(系譜)

後藤直光に関する情報②(代々の詳細と堂宮彫刻の主な作品)

 

後藤神輿に関してはこちらの記事もご覧ください。

後藤神輿店

「後藤神輿とその時代」発刊


押切の宮神輿は、後藤直光の神輿の中でもビンテージ物として大変価値が高い神輿です。

以下パーツごとに見ていきましょう。

 

【蕨手】

江戸神輿や古い行徳神輿は、台輪に対して屋根が2~3割増しの大きさとなっているのが特徴です。

屋根を大きく見せるために枡組を用いて胴を細くしてあります。

 

屋根の上の鳳凰から蕨手、親棒(担ぎ棒)にかけてぐっと下に力綱をとるために、昔から蕨手にはしっかりした鋳物材が用いられてきました。


現代の鋳物は通常の唐草模様の蕨手にしろ、龍の付いた蕨手にしろ、鋳物屋にある昔の型を屋根の大きさに合わせて複製しています。

 

押切の神輿の蕨手は、複製ではなく手打ち仕上げです。

鋳物として一旦プレーンの蕨手をつくり、鋳物の中に砂を詰め、上から錺師が唐草を彫っています(砂を入れるのはタガネでボコボコに凹ませないためです)。

つるつるの状態から打つので、大変な手間がかかっています。

 

最近では複製の蕨手がほとんどで、龍の付いたものなど見栄えのよいものが好まれますが、この蕨手は職人の手打ちで仕上げられており、今では大変希少価値の高いものとなっています。

 

次に、蕨手の付き方にご注目ください。

行徳の神輿の蕨手(江戸型)
行徳の神輿の蕨手(江戸型)

行徳神輿を含む江戸神輿のほとんどは、蕨手が野筋からのびている江戸型です。

三社型とよばれる浅草神輿は、蕨手が屋根下の隅木から出ている関西型となっています。

押切の神輿はこの関西型(三社型)で、後藤神輿の中ではおそらく唯一(同じ形に作られた門前仲町二丁目町会の2代目神輿を除く)といえるかと思います。

浅草神社の神輿の蕨手(三社型)
浅草神社の神輿の蕨手(三社型)
押切の神輿の蕨手
押切の神輿の蕨手

三社型の歴史を見てみますと、浅草神社には戦前、徳川家光公より寄進され後に国宝に指定された神輿3基と、明治初年に氏子町会から奉納された1基(四之宮)、そして国宝に指定されたものと同型に明治17年に製作された保存用3基の合わせて7基の神輿がありましたが、昭和20年の大空襲によりすべて焼失してしまいました。

 

戦後、浅草の宮本卯之助商店が宮神輿の製作を依頼された際、神輿の原型は日光東照宮に残っているという話を聞いて現地に赴き、同じ家光公が奉納したとされる関西型の宮神輿を参考に江戸の粋をうまく取り入れて図面を引いたとされています。

 

三社型が広く普及したのは、これより後になります。

日光東照宮の神輿の蕨手(関西型)
日光東照宮の神輿の蕨手(関西型)

押切の神輿は大正時代に作られたので、三社型が普及される前に関西型が取り入れられていたことになります。

さて後藤神輿といえば、華麗で重厚な彫刻が特徴で、「彫りの後藤」ともよばれています。

その中でもこの神輿は、その絶頂期とされる時代に作られた、大変できのよい神輿です。

以下、彫刻の内容を解説します。

 

【戸脇と柱隠しの彫刻】

戸脇に、後藤定番の鶴ではなく鯉が彫ってあります。

その脇に柱隠しの竜が彫られています。

 

これは鯉が滝登りをして竜になるということで、つまり登竜門を表しています。

 

(解説)

中国の黄河の中流に「竜門」と呼ばれる急流があり、ここをさかのぼることができる鯉は竜になれるという言い伝えがありました。この言い伝えを基に、立身出世のための厳しい関門を「登竜門」と呼ぶようになったとされています。

【上長押の彫刻】

上長押の部分には、胴を囲むように十二支が彫られています。

神輿の正面を南としたとき、東(右サイド)から子・丑・寅、南が卯・辰・巳、西(左サイド)が午・未・申、北(後ろ面)が酉・戌・亥となっています。

 

最近の上長押の取り付け定義では、十二支は北から始まります(注)が、この時代の後藤神輿は、東から始まるのが特徴です。

(注)今は十二支を円として12等分して割り、北は亥・子・丑、東は寅・卯・辰、南は巳・午・未、西は申・酉・戌となっています。

東/子・丑・寅
東/子・丑・寅
南/卯・辰・巳
南/卯・辰・巳

西/午・未・申
西/午・未・申
北/酉・戌・亥
北/酉・戌・亥

【堂羽目の彫刻】

堂羽目の彫刻は八幡神社縁起(注)の、東は神功皇后と皇子(応神天皇)を抱く武内宿禰、西は八幡太郎勿来の関(なこそのせき)を表していると思います。

(注)この神輿は元は富岡八幡宮の町会神輿です。

 

(解説)

八幡太郎、源義家和歌

『吹く風を 勿来の関と思へども 路も狭に散る 山桜かな』

 

義家は、前九年の役にて父・源頼義とともに戦い、後三年の役では陸奥守として参戦しました。

詩文にある「勿来の関」というのは福島県にある関所で、「来るなかれ」(来てはいけない)という意味です。

義家は、山桜が風に吹かれて花びらが美しく散り舞う様子を、戦で多くの侍の命が散っていく様子と掛けて、「風よ、吹くなかれ」と詠んでいます。

東/神功皇后と皇子(応神天皇)を抱く武内宿禰
東/神功皇后と皇子(応神天皇)を抱く武内宿禰
西/八幡太郎勿来の関
西/八幡太郎勿来の関

【台輪彫】

台輪彫の波千鳥の彫刻も秀逸です。

東と西の千鳥はそれぞれ南を向き、北の千鳥はきちんと見返りになっています。

東/千鳥は南を向いています
東/千鳥は南を向いています
南

西/千鳥は南を向いています
西/千鳥は南を向いています
北/千鳥は見返りとなっています
北/千鳥は見返りとなっています

 

そのほか、この神輿は枡組の金箔を手打ちでたたいてのばして貼ってあるため、箔が通常の神輿より厚くはがれにくくなっているそうです。

 

また屋根の上の鳳凰の鋳物は後藤オリジナル。

戦前戦後の量産期には廃盤となっている木型で、これも希少価値があります。

 

ほかにも見どころはたくさんありますので、神輿を近くで見る機会がありましたら、ぜひじっくりご覧ください。

ただし、くれぐれも祭礼の進行の邪魔にならないようご配慮の程よろしくお願いします。

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コメント: 2
  • #1

    江草 (土曜日, 19 10月 2024 21:35)

    明日の押切本祭りが、より楽しみになりました。迫真のレポート。誠に有り難うございます。

  • #2

    わっしょい!行徳 (土曜日, 19 10月 2024 21:46)

    江草さま
    コメントありがとうございます。
    詳しく解説してもらうと、神輿の見方が変わり楽しみも増えますよね。

    明日も一日よろしくお願いします。

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